弟が2012年3月、くも膜下出血で救急搬送され、意識不明の状態が約3週間続きました。
くも膜下出血では30%の人は治療により後遺症なく社会復帰します。約50%は初回の出血で死亡するという恐ろしい病気です、残り20%では生きていながらも後遺障害を残します。
弟の場合は、とても幸運なことに社会復帰を果たすことが出来ました。
弟が突然倒れて緊急搬送され、リハビリ病院に転院するまでのことを書きたいと思います。
くも膜下出血で緊急搬送
2012年3月の始め、弟がくも膜下出血で緊急搬送されたと真夜中に母親から連絡がありました。
何が何だか分からないまま、すぐに実家に行き、両親と搬送された病院に向かいます。
途中のJRの駅に着いてから、電車が到着するまで、母はホームの端から端をひたすら歩いていました。何が何だか分からない状態だったと思います。私も頭が真っ白でした。
病院に到着すると、すぐに担当のお医者さんから説明を受けます。
重篤とは非常に重く、生命に危険が及ぶ症状だとネットで調べ、意味を理解します。
病名は左椎骨動脈瘤解離。左椎骨動脈と後下小脳動脈との分岐部分に巨大な動脈瘤があり、破裂して出血しました。
両親はほとんど言葉を発せず、何が起こったのか判っているような、いないような感じの様子。
コイル塞栓術、VPシャント術
3週間意識がない状態が続いた後に、お医者さんから
見た目には意識のないままで、安定してるかなんて全く分かりません。
くも膜下出血を起こした場合の外科的手術は、クリッピング術とコイル塞栓術の2種類があります。
クリッピング術は開頭して脳動脈瘤の根にクリップをかけます。
コイル塞栓術は、お腹からプラチナ製のコイルを動脈瘤に入れて、動脈瘤が破裂しない様にするものです。
弟はコイル塞栓術を受け、手術から3日後、脳に溜まった水をお腹に流すためのVPシャント手術をしました。
くも膜下出血になると頭の中の水を体に流せなくなるという水頭症を併発することも多いそうです。
手術後の回復
手術の翌日から今までの意識のない状態とは違って、少しピクピクとする反応がありました。
そのお陰か、動くと危ないので、全身拘束されていました。
見ていて可哀想に思うのですが、今弟に聞いても覚えてないそうです。
数日で私や両親と簡単な言葉を話せるようになり、ご飯も食べ始めました。
1週間でリハビリ病棟に移り、リハビリを受け、3週間後にこんな感じでした。
- よだれが止まらない
- 目も眩しく開けていられない
- 人の助けなしでは歩けない
- 言っていることが支離滅裂
- 記憶に問題がある
脳神経外科の病棟には意識のない人、意識があっても麻痺のある人、ほとんど普通に見える人様々です。
手術後に同じ病室で入院していた高齢の男性は、弟の入院期間中は、意識を取り戻しませんでした。
男性の奥さんは、弟が毎日少しずつ回復していくのを隣でみていて、
と仰られ、複雑な気持ちになりました。
その男性は1回目の脳梗塞の後は農作業が出来るまで回復したのに、再度倒れてしまったそうです。
また、弟が救急搬送された数日後にくも膜下出血で倒れた50代の男性は、弟が退院することになる2ヶ月後もほとんど意識を回復しませんでした。
男性の奥さんと廊下ですれ違ったときに、
50代の男性のお子さん3人と奥さんは毎日仕事や学校帰りにICUに来て待ち合わせをして、皆んなで話しかけたり、さすったりしていました。
くも膜下出血や脳梗塞などの脳の病気は、普通の日常をある日突然失ってしまう、本当に恐ろしい病気です。
リハビリ病院に転院
リハビリ病棟に移ってから1か月が経過した頃、入院していた病院は遠かったので、近所のリハビリ病院に転院したいと、担当のお医者さんに相談しました。
その頃、医学的な治療は必要なく、リハビリをするだけの状態になっていたからです。
その場で、お医者さんがソーシャルワーカーの方に電話をしてくださり、相談に行きました。
ソーシャルワーカーの方が転院先の病院への連絡と紹介状の用意まで、至れり尽くせり。
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